宣教への招き(2022.7.17)

7月16日花

宣教への招き
今日の聖書ではパウロが断腸の思いで叫んでいます。教会の中で割礼を受けるという人々がいたのです。なぜだ。キリストを信じて救われたのに、あなたがたはまだ何か足りないとでもいうのか。それなら、割礼だけでなく、律法すべてを行ったらよい。もし割礼を受けるなら、あなたがたは金輪際キリストとは何の縁もゆかりもない。惑わす者も悪い。キリストを信じて今救われているのに他に何か必要とでも言うのか、もう少しなにか加えるとよいなどと惑わす者は呪われてしまえ。  
パウロはガラテヤの信徒たちにただ信じて救われる恵みの福音を届けたのです。キリストのみです。そしてキリストのみへの信仰のみです。それが福音です。そのイエス・キリストの福音の幸いと喜びを共にする祝福された救いの共同体が教会です。それなのに、そこに惑わす者が忍び込み、まんまと惑わされる者がいるなんて。「わずかなパン種が練り粉全体を膨らませるのです。」(9節)。パウロは残念で狂おしいほどに悲しみますが、主を頼みとして立ち上がります。きっとあなたがたは、キリストのみ、信仰のみ、割礼など無用、救いには他になにもいらないと思い直し、立ち帰ってくれるはずだ。そうパウロは聖霊の主に委ねて福音を語り続けました。
今日は「パン種」について考えてみたいと思います。当時、パン種は自然発酵を促す練り粉で、通常次に作るパンのためにその一部を練り鉢に残しておきました。
旧約聖書では祝いや祭りのパンや神へ捧げものには、種入れぬパンを使います。この場合、パン種は腐敗させる力を持つとして除去するのです。また、種入れぬパンの祭りは除酵祭とも呼ばれる新年祭で、除夜の鐘のように古い罪を離れ神聖な新しさに与るために、古いパン種を7日間避け種入れぬパンばかりを食べました。 
パウロはこれを教会内の信仰の事柄と捉えて、あるとき「わずかなパン種が練り粉全体を膨らませることを知らないのですか。いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種を取り除きなさい」(Ⅰコリ5章)と戒めたことがあります。
一方、イエス様は神の国をパン種に譬えています(マタイ13:33)。更にマルコ8章のイエス様のパンとパン種のお話を共に聞きましょう。ここに福音があります。

こどものための小説教
https://youtu.be/3-d9iLzhfC4
宣教「 パン種に注意せよ 」
https://youtu.be/XC1fTYZiEdc