宣教への招き(2022.7.24)

7月18日玄関
宣教への招き
私(飯島信)の自己紹介です。
1948年5月、東京に生まれ、74歳にして初めて都会を離れての生活を経験しています。大学での学びを終えた後、31年間東京都の公立中学校の教員として、墨田区15年間、足立区で16年間を過ごしました。25年間は社会科、6年間は特別支援学級(知的障がい)の担当です。定年退職と同時に牧師となり、14年目を迎えています。
私がこの地に赴任するきっかけとなった出来事は二つあります。一つは震災翌年の2012年から2017年までの5年間、日本基督教団東日本大震災救援対策本部担当幹事として、教団のボランティアセンターの置かれていた岩手県釜石市、宮城県仙台市・石巻市、又、福島県の親子を対象として保養キャンプを実施した郡山市、いわき市、二本松市などを訪れた経験です。あと一つは、2020年春から始まったコロナの問題です。コロナ禍の中で、牧師である私にとっての「医療現場」はどこであるのかと考え続けていました。今日のメッセージでは、そのこともお話ししたいと思います。
小高と浪江伝道所ですが、4月以来、主日礼拝では使徒言行録を取り上げています。その中でも、私の心を深く捉えているのは、初期キリスト者たちの姿です。「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。」(使徒言行録2:44-47)このような交わりがどうしたら出来るのか、当時の人々にはなぜ出来たのかです。この箇所から、私には、キリスト者として生きるとはどのようなことかとも深く関わる大切な問いが与えられています。
なお、第1・第3主日は浪江伝道所で、第2・第4主日は小高伝道所で、いずれも15:00-16:00の礼拝を行っています。祈りに覚えていただければ感謝です。

今週はこどものための小説教と宣教のビデオはお休みです。