宣教への招き(2024.2.4)

2月3日花①

宣教の招き     
今日の聖書は、イエス様の奇跡~ベトザタの池のほとりでの癒し(1節~9節a)、安息日論争(9節b~16節)、キリスト論論争(17節~18節)の三つの部分からなっている。
第三のしるしがエルサレムで行われたがガリラヤと違って受け入れられない。イエスはある男を見つめ、声をかけ、奮い立たせる見事な癒しで、まさに神の御業と誰の目にも映ったが、一切の仕事をしてはならない安息日における御業であった。
安息日規定は十戒の第四戒で、ユダヤ人にとってこれを守らないことは死罪にあたる。そこでユダヤ人たちは、いつも池のほとりに横たわっている男が起き上がり、床を担いで歩き出したというのでこの男を非難した。あとでイエスがこの男に出会って「あなたは良くなったのだ。もう罪からはなれて生きなさい。あなたに悪いことが起こらないように。」と言われた。すると男はイエスの好意を裏切って、自分をいやしたのはイエスだと知らせてしまった。この密告から始まってイエスは迫害され、拒絶され、ユダヤ人は公然とイエスを殺そうとねらうようになった。
彼らはイエスの発言に敏感に反応した。イエスは安息日に、神のように働いた。いやそれ以上に、イエスは神を自分の父と呼び、自分を神と等しい者とした。これは実に、許しがたい冒涜である、殺してやるというのである。
私たちも主イエスのように神さまをわたしの父と呼ぶ。主イエスがそうしてよい、ぜひそうしなさいとゆるされているのでそうしている。ユダヤ人はこれも冒涜だとわたしたちに殺意を抱くだろうか。そんなことはないだろう。わたしたちは誰も、絶対に神と等しくは見えないはず。それほどイエス様は素晴らしく、特別なのだ。
主イエスは、一切の罪から離れて起き上がり、床を担いで生きろ、と今日もわたしたちに語っている。そして良くなったわたしたちに、悪いことが起きないように、もう二度と罪を犯すな。もといた罪のしがらみの中に戻るな、とやさしい眼差しで諭していらっしゃる。なんと幸いか、見つめられ、問いかけられ、拙くも応える幼子のような者たちは。主はいつでも見守り、祈りをもって語りかけてくださる。

こどもたちへの小説教(レントのイエスさま)
https://youtu.be/Bc68UzWMSM0
宣教 「泉のほとりで」
https://youtu.be/uMvOsnQ2JHs