今週の説教要旨(2018.3.11)

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説教題「 思い直される主 」
エレミヤ書26章1~9節

エレミヤは、主の神殿において大変厳しいことを語るように神様に命じられました。それは、南ユダの人々が、このままでいると滅亡するという言葉でした。自分たちの悪を認めることができない、頑なな心をもった人々です。しかし憐れみ深い神様は、そんな民でも憐れみ、救いたいと考えます。そして、自分たちの悪を知ったならば、「立ち帰るかもしれない」と言われます。
さて、「立ち返る」はヘブル語で「シューブ」といいます。ギリシャ語で「メタノイア」。イエス様は、その宣教の初めに「悔い改めて、福音を信じなさい。」と言われました。この「悔い改める」が「メタノイア」です。「悔い改める」とは、神様の方に向き直るという意味です。「神様の方に向き直る」ということの大切さは、旧約聖書・新約聖書を通じて、一貫して私たちに勧められている事柄だということです。
そして、もし人々が立ち帰るならば、「わたしは彼らの悪のゆえにくだそうと考えている災いを思い直す。」と神様は言われます。この「思い直す」はヘブル語で「ナーハム」です。「ナーハム」は、「慰める」、「憐れむ」、と訳される言葉です。神様は人々が悔い改めて、神様の憐れみを受ける者となって欲しいと強く望まれます。「ああエフライムよ/お前を見捨てることができようか。・・・私は激しく心を動かされ/憐れみに胸を焼かれる」(ホセア11:8)悔い改めは、神様の憐れみの心から引き起こされる恵みの業です。この受難節を過ごす時、悔い改めをもって、自らの十字架を示していただくよう祈りつつ歩みたいと思います。