宣教への招き(2020.10. 25)

10月25日花

宣教への招き
説教題「 創造主の招き 」 
箴言 8章 22節~31節
 わたしは知恵、永遠の昔、主なる神の創造以前、いにしえの御業に先立って、わたしは生み出されていた。―その方はイエス・キリストではなかろうか。
ヨハネによる福音書1章で告げられた、初めに神と共にあった言。万物は言によってなったというその言(ロゴス)。コロサイの信徒への手紙1章15節以下の、すべてのものの先におられ、すべてのものを支えておられる御子。万物は御子のために造られたという神の御子イエス・キリストのこと、イエス様であるに違いない。
初めに神と共にあったこの方は、今朝もこのように御言葉を語っておられる。
「御もとにあって、わたしは巧みな者となり
日々、主を楽しませる者となって
絶えず主の御前で楽を奏し
主の造られた地上の人々と共に楽を奏し
人の子らと共に楽しむ。」(30~31節)
これは永遠の今のこと。初めにあり、かつてあり、今あり、永遠にある神の現実。主の御もとにあって、キリストは楽を奏し、地上の人々と共に楽を奏し、人の子らと共に楽しむ。
そうだ、これは礼拝である。今日、創造主は私たちを招いておられる。礼拝へと招いておられる。キリストと共に楽を奏して楽しむ礼拝へと招いておられる。なんと幸いなるかな。礼拝とはそんな至福の時である。礼拝しよう。
感謝、感謝、アーメン、ハレルヤ!招きがあるので礼拝できる。礼拝しよう。
では招きとは何か。降り注がれている恵みを振り返ってみよう。そして限りない感謝の礼拝を捧げよう。世をあげて礼拝しよう。